修行と普及の矛盾

2017年12月18日

 くの武道を志す人の目的は「あの先生や先輩のように上手に、強くなりたい」ではないでしょうか?人々を感動させる技と相手を圧倒する強さに引かれて武道の道に入り、見果てぬ高い境地を目指していく「修行」こそ、武道の醍醐味であるはずです。しかし、人によってそのとらえ方は異なります。逆に言うと師匠がどのレベルで各々に指導し、そのレベルで満足できるかです。

 らにある程度修行が進むと、そこに普及という難題が出てきます。本人が「武道」として修行しているからと、「スポーツ」として練習している後輩に「武道」を強制してみても空回りするだけです。大切なのは、武道の本質が「伝える」「伝承する」ものである事を理解する事ではないでしょうか。

 「える」ためには、普及させ、流れを作っていかなくてはなりません。高段になればなるほど、その責務は重くなっていきます。先輩後輩の「教える」から、師匠としての「育てる」伝え方を模索していかねばならないと、私は考えています。

 進を育て、常に己が道を追求していく「師匠」こそ、生涯をかけて師事する師ではないかと考えています。

 道として修行し伝承していくことと普及していくことは、大きな矛盾を生んでいきます。しかし「飽くなき技の追求」と「生涯を懸けて人を育てる」ことが、それらの根本にあると信じています。